2010年7月27日火曜日

釣りの師匠

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某政治的思想団体のお偉いさんから「キャンプが好きならフライフィッシングをやれ」とそそのかされ、岐阜の山奥で初デビューしたのが15年ほど前。フライフィッシングなんて日常生活で知るきっかけが少ないわけで、しかもザイルが必要ない程度とはいえ山奥で魚を釣るなんてなかなか体験できない。
当時Gパンにトレッキングシューズとふざけた格好で渓に入りエライ目にあったため、師匠に同行いただきL.L.Bean(当時フライ道具を扱っていた)で道具一式を購入。
しかし、道具があれば釣れるほど簡単な釣りではなかった・・・。年に1・2度の岐阜釣行で師匠の後ろで感覚的に釣り方を覚え、ポイントを譲っていただき、くどいくらいに電話・メールでアドバイスを乞うて、世捨て人のように渓に通いつめ、ようやくコンスタントに釣れるようになってきた。
釣り人同士では釣れる川はなかなか教えてくれないもので、ポイントに連れて行ってくれる人がいるのも貴重なこと。なにからなにまでお世話になりっぱなし。
仕事でもなくレジャーともちょっと違う、釣れりゃいいだろ的とは対極のスタンスで山の楽しさを教えていただいた師匠に感謝。
今年も岐阜釣行を楽しみにしています。去年よりはレベルアップしているハズ、です。のんびりテント泊しましょう。

BLACKDIAMOND SPOT(ヘッドランプ)

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プリンストンテックQUADの本体が割れたところをエポキシで修理したけれど、ついに電池蓋の雌ネジが抜けてしまった。
捨てるのももったいないんで、またエポキシで無理矢理張付け・埋め込んで処理。
とりあえず動かないようだけど、これでは不安なので検討の結果、BLACKDIAMONDのSPOTを購入。
1WのLEDはかなり明るい。渓流釣りでもしものときも安心。
気になっていたのは防水性。
H先生が使っているのでOリングが入っているか聞いたところ、外出中でわからんが、ポケットに入れて川に入っても大丈夫だったというので、まぁそれなら大丈夫かと。
届いたSPOTの電池交換の蓋を開けてみると、Oリングはなかった・・・。
ん〜。
あーだこーだ調べてみると5000円前後で「防水」と表示しているのはプリンストンテック(1m防水・QUADはOリング入り)とパナソニックくらい。
ペツルは「全天候対応」とある。(ペツルにはプロ仕様の防水シリーズがあるがゴツイ)
ん〜。
漏れるかどうか、水を溜めた洗面台に水没させて左右に振って取り出し蓋を開けると、水滴がぽたぽた垂れてきた。やっぱり、ね。冷静に構造を見れば試さなくてもわかるんだけど、ね。
��ライトは点灯している)
こういうものはネット購入じゃなくて、お店で確認しんといかんです。

2010年7月25日日曜日

2010.7月末 金峰山川

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金峰山川といえば美しい渓相でフライフィッシャーに人気があるイワナの川。
湯川豊氏の「イワナの夏」の冒頭にも登場するメジャー河川故、プレッシャーが強そうと敬遠していたけれど「平日ならもしや」と淡い期待を胸に長野の川上村へ。
幕営地の廻り目平キャンプ場までに集落を越すが、このあたりは里川の雰囲気。すでにフライマンが竿を振っていた。午前中に通りがかりの大門川(ここも初めてだった)で俺的にはいいサイズのイワナを数匹釣っていたので、川の様子がわかればいいや、と心に余裕がある。
ゆっくりテントの設営をすませ、サイト脇の沢を一本越え、いざ。

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穏やかな流れはいくつもポイントを感じさせる。しかも多いかぶさるような木も少なくロッドが振りやすい。こりゃ人気があるわけだ。
緩い流れの場所はそれほど続かず、巨岩の多い落ち込み・淵が多くドライフライだとちょっとツライ。

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流芯を外し緩い流れや岩陰を狙うとポツポツと反応があり、サイズは20cm前後と小さいが、色白のイワナが数匹釣れた。食べる分は午前中に3匹キープしてあるので、全てリリース。

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魚の写真があるのは心に余裕のある証拠。

キャンプ場端の堰堤まで釣り上がったところで、ものすごい夕立と雷・川霧が出始めたんで初日はここで終了。
翌朝4時起きでコーヒーを飲んでいると、車でやってきたフライマンが準備を始めた。
山の中でまで来て競い合って川に入る気にもなれず、だらだら過ごして7時に入渓。
3つ4つ堰堤を越す間に骨酒用のイワナを一匹キープ。堰堤も脇に緩やかな傾斜で踏み後があるのでラクチン。
それにしてもサイズが出ない。
フライは初日に反応が良かったホワイトウルフ。水底からぬ〜っと黒い影が上がってきてゆっくり食ってくれる。なにも躊躇しないようにみえる。それ以外のパラシュートなどは「パシャッ」と反応が早かった。そう感じただけかもしれないが・・・。

取水口より上流まで来ると真横に林道が見えるようになる。巨岩を乗り越えの遡行で足にきた。5時間も無心でロッドを振っていた。
誰もいない川の真ん中でタバコを一服。入道雲と青い空。山の楽しみ方が似ているい師匠といつか来てみたい。

キャンプ場に戻ると「釣り?」とおっちゃんが声をかけてきた。夫婦でキャンプの彼はルアーをやるらしい。しかしロッドを忘れたとのこと。キャンプ場より下流の集落あたりでしかやったことがないが、10年くらい前まではゴールデンウィーク前などの放流時期に来ては50cmクラスをよく釣ったそうだ。ルアー人口が増えてあっという間に釣り切られるようになってからはほとんど来ていないと。ここにも「過去に棲むイワナ」話があったか。
アンタ、沈めないと大物でないよと、もっと釣り話をしたそうな彼から酒を勧められたが、まだ夕間詰めがある。それに、渓相なんて気にしないという釣り人と何を話していいかわからず、夕暮れの川へ向かった。釣果は・・・。また夕立と雷で。


2010年7月20日火曜日

サーマレストが・・・

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空気で膨らませる式マットのサーマレスト。
いつ買ったか覚えていないくらい旧型で最新型に比べて重い・かさばるため、来客用で使っていたのが、ついに頭の部分が内部剥離のためか膨らんできた。
ん〜。
ちょうど枕代わりになるかもしれんが、少し空気漏れもあるようだ。
重い頭で擦れたんだろうか。

2010年7月17日土曜日

日暮れの谷

雨でいつもよりも水量の増えていたS谷に、H先生と夕方入渓。
地元の釣り人から濁りが少ないこと、急な増水の可能性が低いことを聞いていたけれど、倒木や崩れた斜面が多く軽い緊張感で釣り進む。
アタリはほとんど無く、そろそろピッチを上げないと日暮れ前までに脱渓点へ辿り着けない。
H先生はヘッドランプを忘れているので、釣りを諦め竿を畳みひたすら遡行する。
水かさが増えているので徒渉もたいへん。
いつもより進むのに時間がかかるが、なんとか日暮れ前に滝を越す事が出来た。
もうしばらくで木橋に辿り着くはずだった。すでに日が暮れてゴーゴーと不気味な川の音とぽつぽつ降り出した雨で冷静さを無くしかけ、もしかしたら増水で橋が流された可能性があると考えてしまった。
タバコで一息つき、H先生とこの後の行動を検討。
川通しで戻る・進むよりも林道まで直登したほうが危険度が少ないと判断し、倒木や土砂崩れの無い斜面で足場となる木の生えた場所を選んで取り付いた。
木々と空の切れ目から15〜20mくらいの高さで林道に出ると予想していたら、林業作業後の広場だった。がっくり。
見上げるとヘッドライトの先に反射板の光が。お!と安心したのもつかの間。鹿の目だった。
作業道があるはずと探すが見当たらず。あまり動くと位置がわからなくなるので、しばし休憩して息を整える。最悪、この広場でビバーグと覚悟を決めてさらに登ると、ようやっと林道に出た。
あぁ、疲れた。
二人でよかった。恐怖感も薄らぐし、突発的な行動を防げるのは大きい。
油断禁物。判断ミス・軽装備など反省点多数。山をナメちゃいかんです。

キャンプ場でのビールがうまかった・・・。

2010年7月10日土曜日

イワナばなし4

以下、千種区の某同人誌から転載。

●双六小屋のあけくれ

10年ほど前の黒部川上流は、まだまだ多くのイワナが穫れた。何しろ、ぼくのような素人が行っても釣れたのだから。
姫田のおやじは例の黒部のテント場でイワナの薫製を作っては、双六小屋へ運ぶ。小屋ではビニール袋に版?家守洞春手刷りの「名物岩魚ほしか」のラベルと一緒に詰める。これが上高地や蒲田温泉で土産物となるのであったが、希望者が多くて、店頭ではなかなかお目にかかれないシロモノであった。そのほとんどが、旅館からの大量申込と予約者への分で消化されてしまったから。
「ほしか」の制作が興味をそそるのと、黒部上流の秘境の魅力もあって、テント場行きの希望者が多かったが、キセルをくわえてニヤニヤしていても、姫田のおやじの選考試験はむずかしかったようである。小舎もいわゆる山小屋の名残りをとどめていて、囲炉裏にあたるところに大きなストーブとおやじをデンと置き、まわりにはいつも話しの花が咲いた。こんなときのランプの光も味なものであった。
東京の料理学校の女の先生と女生徒を案内したときのことである。まさに深山幽谷の境にあるテント場のあたりの風景に見せられた彼女たちは、もう感嘆詞の連続ではあったが、姫田のおやじの「岩魚つり」の腕にはあっけにとられていた。誰かが「魚が吸いつけられてくるみたい・・・」と、もらしていたがまさにそのとおりのありさまだったが、おやじに言わせると「別にむずかしいこってないんじゃぜ。俺リヤァ 一・二・三 一・二・三って竿をふっとるだけや・・・。こんでも魚は少のうなったんやぜナ。昔やァ、両手で魚をどけにゃ、顔も洗えんし、オマエ、川ん中なんか歩けすかい。魚(イナ)で魚(イナ)滑って滑って・・・」こんな話を半信半疑で聞けるくらいイワナはいたのだ。
姫田のおやじが午前中の獲物をシートの上にひろげる。これは壮観。シートの上にイワナの山が出来る。料理学校の先生大いにハリキッテ生徒をトクレイして二度とはやれないだろう「イワナ寿司」の実地指導。「タレ」だとか「マナイタ」だとか取り出しているとき、ころころところげ出た小さな缶。おやじそれを拾いあげ、ラベルをチョットみて、そのまま黒部の流れへポイ。瞬間あっけにとられた女の先生あわてて「あらあら、それぇ何とか印のワサビよ。それがなくっちゃ・・・」とかなんとかワメキながら追っかける。おやじはニヤニヤして大きな草の菜を取り出して皆の前へほうり出す。もちろん生徒の女の子たちにはわからない。天然ワサビときいて、またまた歓声。おやじが釘でこん気に穴をあけた空缶のオロシ金でおろし、それを包丁の柄でしばらく叩く。かくて、黒部の秘境にて味わう天然ワサビ入りのイワナ寿司の舌ざわりは忘れえぬ思い出となった事であろう。「あのワサビ思うたより辛かったろ。実はホカッタ物と同じもんをちょこっとまぜたんや」とコッソリ知らせてくれたおやじの言葉を聞いたとしても。

昭和四十五年十月発行

2010年7月9日金曜日

イワナばなし3

以下、転載。
筆者は大正生まれ。

●双六小屋のあけくれ

わかっていながら無理をかさねて、胸を患い、高山市郊外の病院や療養所で生活を送った。退院間近になると、夜明けしらじらに療養所を脱出しては、美女峠や大西峠に通ずる谷筋へ入って、イワナを釣った。時々、アマゴも釣って帰ったから、大西峠を越えた向こう側、つまり益田川筋へも入っていることになる。
帰って流し場で腹を出し、塩をふってそれからそっとベッドにもぐり込み、清冽な流れや水泡のうずなどをまぶたに浮かべていると、看護婦さんが回ってくる。「プルスが多いわね」「うん、すてきな恋人の夢みたんだァ・・・」 こんな具合で過ごしたが、前まえから、双六小屋の主人 K氏が、身体の調子をなおすには、山が一番いいから来い。と誘ってくれていたので退院すると、一週間は身辺の整理をすごし、待ちかねたように北アルプスの双六小屋へ入った。
川では、熊やカモシカやオコジョや雷鳥など、いろいろの動物におめにかかったが、たっぷりつきあったのは、やはりイワナであった。
小屋には、Kさんの弟で「姫田のおっちゃん」と呼ばれているイワナ釣りの名人がいたためでもある。おやじさんは、朝黒部へ出かけ、夜八時ごろ帰ってくる。収穫は少ない時でも二百尾はかかしたことがなかった。往きは、三保蓮華の頂上を越したあたりから、斜めに黒部上流の祖母(ペア)沢の出合いと五郎沢の出合いとの中間あたりへ降りてしまうのだからかなり早い。最盛期には、赤城沢近くの台地に幕営して、一週間くらい釣りつづけ、それを全部薫製にして来る。このときは二人ほど薫製係をつれてゆくが馴れぬものはテンテコ舞いの急がしさである。私も、そのテント場へ行ったことがある。七月だというのに流側の湿地帯にミズバショウが咲いていたし、浅い水溜りの中に紫色のきれいな棒切れがあって拾おうと手を出したら、これがなんと尺を越すイワナで、チャバッと逃げられて驚くとともに、いよいよイワナの宝庫へ来たという実感に、心がときめいた。
そのころは、「雲の平」が開かれ始めた頃なので、黒部のイワナも、人にあまり馴れていないせいもあって、面白いほど釣れた。
おやじが黒部から帰った翌日は小屋は三百からのイワナのフライで大変である。小屋のすぐ下の双六池のほとりのテント場にこの話しが拡がると、みんな飯盒やコッヘルのフタを持った長い行列ができる。どの位、並んでいるのか。数えに行くと、はるか後ろのほうで「オヤジサーン、ここいらまではダイジョーブゥ」「いちどでいいから食べてみたいのよォ」などと呼ばれると、調子にのって『イワナのフライ。もうすぐあがります』と書いたチラシが心細くなってくる。それからは、二つに切って売ることにしたがすぐ売切れてしまうので、しばらくおやじさんの「黒部往還」が続いたものだった。ある時「今日は一等うまいイワナを釣って来るで・・・」と相棒一人と双六小屋を降っていったが一匹もあげて来なかった。「蓮華谷口の萩原岩屋までいったが、一匹もおらん。ひどい荒れようや。○風で埋まってまったらしい・・・」と首をかしげていた。ーーこれは伊勢湾台風の継ぎの年のことである。

昭和四十四年五月発行

イワナばなし2

以下、転載。

●大物を釣る

高山市から、白川郷へ抜ける小鳥峠を降つたところより、道を小鳥川の流れに従って少し行くと、江黒という小さな部落がある。ここの名家であるT氏の家に厄介になり、小鳥川や、その流域の谷々へ、イワナ釣りに案内してもらったことがある。流石、T氏はうまい。とても釣り上げられないと思うような、木の枝の一ぱい倒れこんでいるようなところでも、平然とつり上げてしまう。私には、一匹もかからない。クサッてみても、ズブの素人で、しかも川に馴れていないのだから仕方がない。川に馴れるということは、どうもあるようだ。いつも通っているうちに、川筋を覚えてしまい、そこの土地出身の人に、不思議がられ驚かれたりするようになると、どこの淵には、どの程度のものが、何匹・あの石の下を流せば必ず。そのときの体の位置は。などと、目鼻が立つようになってくる。これは、郷里の益田川筋、高山市の近郊の谷、そして後年、三シーズン山小屋暮らしを過ごした、黒部源流地方の谷や沢で充分感じたことである・・・。
もう半分投げやりになって、谷を下って来ると、大きな淵に出た。滝が落ちている。こんな見晴らしのいい広い淵なんかで、かかるもんか。でも、どうでもいいや。と思いきりテグスを長くし、大きなミミズをひっかけ、うんと遠くへほうり込んで、トカゲをきめこんだ。
もうそろそろ帰ろうかと、竿を上げようとすると、間の悪いときには悪いもの、鈎がひっ掛かって上がって来ない。いろいろやってみるが、とれない。ついに頭に来た私は、力いっぱい引っぱると、竿が折れた。折れた竿をなおも引っぱると、川底から重いものが上がって来る。沈んだ流木を引き上げる感触である。ますます腹が立ってグイグイ引っぱると、水面に浮いてきたものがある。みると、大きな岩魚だ。全身紫色の巨大なやつ。チクショウメ。どこまで俺をカラカウのか。と力いっぱい竿を引く。するとどうだ。その岩魚が手前に引かれてくるではないか。かかっている。とたんに、手が足がふるえる。どうして上げたのか、はっきり記憶はないが、ただ糸が〇.四だから慎重に慎重にと自分にいいきかせていたのと、気づいてみたら水の中に飛込んで、しっかり魚をかかえていたことだった。
ついに、私の竿にも、岩魚がかかった。ゆうに三十五○(たぶん漢字のcm)は越えようという大物だった。竿もなにもかも川にほったらかして、魚だけ持って、釣ったァ釣ったァーと小屋へ駆けこんで、笑い草となった。焚き火の炭をつかって、○(即?)製の魚拓を作ったが、仲々出来なかった。が、これは、私の記録となった。昭和二十四年、岐阜県大野郡清見村江黒ソーツイ谷男滝落口。

昭和四十三年十二月発行

イワナばなし1

そんなに釣りが好きならと、父親から知り合いが出していたという同人誌が送られてきた。
昭和43〜48年までの貴重なエッセイ。
釣り人が増えたのか、環境が激変したのかワカランが、「天然もの」が釣れない今ではうらやましい、「良き時代の釣り」の記録として。

ここに個人名など伏せて、記録のために残したい。
著者は大正生まれとのこと。
ガリ版のため一部不鮮明な文字は○で表記。


○イワナとの出会い
私とイワナとの出会いは、厳粛に言えば、小学校六年の夏。飛騨の川面村でのことであるが、魚が小さかったためもあって、えらく○魚だなぁという以外、ハッキリした印象はない。私の生家は、中山七○のなんなかの、中山の里で、ちょうど、高山線の飛騨金山駅と下呂駅の中間あたり旧中原村の小さな部落なのでこの辺の川すじのことは大体わかっているのだが、ついぞ、イワナにお目にかかったことがない。下呂町の旧中原村との境界あたりに、茂谷というのがあり、これは中原村最高の千米を越す「八尾山」から出ているだけに、地元の人でも、気味悪がって、深くは入らなかったほどの暗い谷だが、五六年前までは驚くほどアマゴがいた。
「必ず五十匹は揚げる。」と豪語した私に、「五十を越したら、ヒックリカエルほど飲ませる」とカケた弟の手前もあって、一所懸命頑張ったのだが、最後の一匹がどうしても釣れなくて、四十九匹で兜を脱いだことがあり、シロウトの私ですら、これほどだから、よっぽど居たに違いない。が、この谷ですら、どれだけ奥へつめても、イワナ(このあたりではそーたけという。茸の変化とでも思われたのだろうか)を見なかった。
ところが、この谷から、益田川一つ、二つ上流の谷へ入ると、ここいらにはアマゴに交じってイワナの影を見る事が出来た。
この近くに下呂小学校があり、兵隊にゆくお別れに、小学校教官だったおじ夫婦を訪れた時、学校の裏の谷で、形のいいイワナを何匹も釣ったが、これが本当にイワナにお目にかかった最初であろう。
ここはもう街並であり、益田川は目の前だから、谷としては最下流であり、そこにイワナがいること、せいぜい4料(?)か5料(?)のへだたりのなかでの、この変化には、少なからず興味を持ったが、勤務先が飛騨高山であってみれば、どうしようもない。気にはかけながら、たまの休暇で帰省するたびに、釣り糸を飛ばすだけの谷○谷でしかなかった。ただただ益田川に於けるイワナの南限は、このあたりではないかと思っている。
アマゴのいる川は、太平洋に入るものと限られているようだが(琵琶湖に入る鈴鹿山系の愛知川にもいる)イワナは、太平洋・日本海のいずれの側の谷にもいる。だが、水温の高いところは住まないようだ。増田郡から大野郡へ遡った益田川沿いの大きな谷では、下流にアマゴ、中流にはイワナ・アマゴの混生、上流にイワナだけがいるのが普通だが、比較的小さな谷には、アマゴだけのところが多いようだ。久々野の有○(ウト)谷の中流でイワナにアマゴ特有の朱点の入ったのを釣ったことがある。イワナとアマゴの混血であろう。だとすれば、両者の改良種で棲息範囲の大きなものの○現も可能であろう。
面白いのは、美女峠の原っぱで野営した時、南側と北側へ同じように下ったあたりで、南でアマゴ・北でイワナを釣ったことである。その夜は太平洋と日本海の味を賞味した。これは美味かった。飲めぬ私ではあったが、焚き火であたためられた酒は、しみ○るように、こころよく身体に廻ったものである。

昭和43年9月発行

2010年7月4日日曜日

HeeBeeJeeBee Live at FAB

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表参道のライブハウス『FAB』でのHeeBeeJeeBeeライブへ。
いつも賑やかで、「Party!Party!!」なイメージ。お酒も入って自然に体が揺れてくる。
酋長さんのザクザクしたリズムはロックです。
そんなKANAMEさん、いや、酋長さんのプロジェクトHeeBeeJeeBee『出れんの!?サマソニ』にエントリーしています。ポチッとよろしゅう。